2012年04月

Piede e Vigore 「足と生き様」

よく「足の人差し指が親指よりも長いと、親よりも出世する」と言いますが本当でしょうか。
僕の足もそのタイプで、親指よりも人差し指の方が長いのですが、今の時点で親よりも出世しているとは微塵も思いません。
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 (手前が陽希君、左が田中さん、奥がワッキー、右が僕の足です。レースの序盤はまだみんな足がきれいです)

自分が父親になるような歳になって、改めて自分の父親の凄さを思い知らされていますし、自分に奥さんがいてもおかしくない歳になって、改めて自分の母親の凄さを思い知らされています。
僕と両親で生きている世界も、目指す方向も違いますが、自分が父親になったらと考えた時に、僕がそうだったように、何一つ不自由無く、子供の好きなことを好きなようにさせてあげられるかと言ったら、自信がありません。
でも、それでも少しでも両親に近づき、追い越せるように頑張りたいと思います。

足の話題をもう一つ。
今年2月のパタゴニア・エクスペディション・レースで、イーストウインドのキャプテン田中正人さんの左右の足の裏を襲った水の細菌による感染症ですが、実は僕も田中さんほど酷くなかったものの同じ症状になりました。
(2011年にタスマニアで行われた世界選手権でも僕は同じ感染症に苦しみました)
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  (足の治療を受ける田中さんの足。誰かに患部を触られるだけで激痛が走ります。この痛み、半端ないです)

最初は土踏まずや指の間にポツポツと赤い斑点みたいなものが出来ます。
正直それだけでもメチャクチャ痛いので、足を地面に着くのが嫌になるくらいですが、不清潔のまま放置すると、治るどころか、逆に赤い斑点が足裏全体に広がってしまい大変なことになります。
今回、その大変な事になってしまっていた田中さんは想像もできない程の激痛と戦っていたはずです。
痛み止めを飲んで何とか痛みを誤魔化そうとしていましたが、最早、それで痛みがどうこうなるというレベルではなかったと思います。
それでも「痛みは気持ちで乗り越えるんだ」という田中さん本人の言葉通り、見事に乗り越えて見せました。
今回、レース中に改めて「やっぱり田中正人という男は凄い!!」と感嘆しました。

2012年4月30日 倉田文裕

L'intenzione originale 「一年目の思い出」~EAST WIND編

2009年3月23日、僕はみなかみに来ました。
そしてみなかみに来たその日にイーストウインドのメンバー田中正人さんと田中陽希くんの2人に連れられ、冬の谷川岳にトレーニングに出掛けました。
それまで冬山登山の経験はゼロで、アイゼンも、ピッケルも、持っていなければ、使った事も無いという状態だったので、道具はすべて2人に借りてトレーニングに臨みました。
名目は「新トレーニング生ウェルカムトレーニング」という事で、ロープウェイの下を天神平スキー場まで登り、スキー場の斜面で滑落停止のトレーニングを行った後、更に天神尾根まで登り、雪洞を掘り、中でビバークをし、下から持ち上がったビールを飲み、乾杯しました。
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(雪洞の中でビールで乾杯。この時チームに迎え入れられた気持ちになりました)

1日目は天気が悪かったのですが、2日目は快晴。
谷川岳の山頂を踏んだ時は、その今まで見た事のない、その場からしか見られない素晴らしい景色に感動しました。
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         (谷川岳山頂。初の冬山登山が百名山の谷川岳。360度のパノラマに感動しました)

下りは西黒尾根を通って下りました。
アイザイレン(安全を確保する為に二人以上をロープで結ぶこと)をして3人で安全を確保しながら下りましたが、細尾根の急傾斜に加えて、初めての雪山で滑落の恐怖もあり、緊張しっぱなしの下山でした。
兎にも角にも無事に行って、帰って来れた事にホッとしました。
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   (西黒尾根の下り。夏山の登山道を降りる下りとは訳が違います。これでもかという位慎重に下りました)

8月24日、25日にはチームトレーニングで、利根川の一滴目が落ちる大水上山から奥利根湖までを沢沿いに懸垂下降やスイム、沢歩きを繰り返して下りてくるというトレーニングを行いました。
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          (重い荷物を背負い、時に雪解けの冷たい水の中を泳いだ「沢下り」トレーニング)

9月14日、15日には利根大堰から銚子港まで、距離にして155kmをシーカヤックでダウンリバーするというチームトレーニングも行いました。
ただ、この時僕はカヤック2回目のド素人に近い状態で、この無謀なトレーニングに僕を同行させた田中さんと陽希くんに対して「この人たちは頭がおかしいのか?」と失礼ながら、本気で思っていました。
不安しかない、最後まで気の抜けないトレーニングで、正直今までで一番キツイ「命懸け」のトレーニングでした。
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   (2回目のカヤックで155kmのダウンリバー。本当にきつかった)

しかし、その4日後に大水上山~銚子港までを沢下り、レイクラフティング、MTB、シーカヤックで繋ぐ、その前の2つのチームトレーニングを組み合わせた「利根川エクスペディション」を行った時に、前はキツかったはずの沢下りやシーカヤックが以前ほどキツくない事に気づきました。
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(利根川エクスペディションのゴール「銚子港」。総距離約330km。この経験が後の自分を支えました)

みなかみに来てすぐの冬の谷川岳登頂トレーニングもそうですし、ド素人状態での155kmのシーカヤックでのダウンリバーもそうですが、自分の中で「ここが限界」と決めてしまう前に、極限に近い事を経験すると、通常の何倍ものスピードで成長できるのだと思い知らされました。
これらの経験が後の海外での過酷なレースで活きた事は言うまでもありません。

2012年4月26日 倉田文裕

L'intenzione originale 「一年目の思い出」~カッパCLUB編

僕がみなかみ町に来て、今年で4年目になります。
同時にカッパCLUBでお世話になり始めて4年目と言うことも出来ます。
みなかみに来た目的はもちろんイーストウインドのメンバーになる為ですが、イーストウインドのメンバーになる為の条件に「カッパCLUBのリバーガイドになる事」というのがあるので、最初は、まずこの条件を満たす為にラフティングトレーニングの日々から始まります。
湖で基本的な技術を学んだ後は、ひたすら利根川を下りながら様々なガイドスキルを学んでいきました。
朝練から始まり、日中は先輩ガイドの横に乗って操船技術だけでなく、ガイドトークなどのスキルも学び、夕方はランニングなどの自分のトレーニングをしていました。

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(田中さんとのマンツーマンでの朝練。最初は先輩ガイドの皆さんに教えを乞う日々)

僕の代は僕の他にもう一人本名「鈴木辰徳」、ガイドネーム「ちゃま」という同い年の同期がいました。
何を隠そう、先日ブログでも紹介させていただいた、あの鈴木翔太さんの実の兄です。
下の写真でも伝わると思いますが、体格に恵まれ、鈴木翔太さんと同じく才能にも恵まれていたので、成長も早く、当時僕は「ちゃまは凄いなぁ」「俺も頑張らなくちゃなぁ」と思い、毎日、最高の刺激をもらってトレーニングをしていました。
彼は怪我の治療の為に故郷仙台に帰らざるを得なくなり、一緒にガイドになるという目標を果たすことは出来ませんでしたが、今でも「彼がガイドになっていたらメチャ凄いんだろうなぁ」と思うことが良くあります。
僕の唯一の同期で、同い年、同じ苦しみを共に味わったので共感できる事が多く、彼が仙台に帰ってからもお互いに連絡をとりあう仲が続いています。

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(左から大先輩ガイドの横山峰弘さん【皆さんご存知の世界的トレイルランナー】、僕、同期のちゃま(鈴木辰徳)です。
 僕もちゃまもガイドアップ前で、一緒に切磋琢磨しながら日々頑張っていました。僕の大切な一枚)

7月に入り僕は一回目のガイドアップ試験を受けました。
このガイドアップ試験に合格すると細かい水量規定はあるものの、晴れて一人でお客さんのボートに乗ってガイドする事が許されます。
その試験ではカッパCLUBのツアーマネージャー、スッスーさんにツアーの最初から最後まで総合的に見てもらいガイドになれるかどうかを判断してもらいます。
一回目のテストはボロボロでした。
今でも思い出すと恥ずかしくなります。
当然の事ながら結果は不合格。
でもボロボロすぎて逆に吹っ切れて、良い意味で開き直る事が出来ました。
そして二回目のガイドアップ試験、失うものは何も無い、そんな気持ちで臨んで何とか合格。
今まで味わったことの無い、何か特別な喜びみたいなものを感じたことを今でも覚えています。

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   (ツアーマネージャーのスッスーさんを乗せてガイドアップ試験を受ける僕。この時は何とか合格)

カッパCLUBで過ごした1年目の日々。
ガイドとしてだけでなく、人間としても成長させてもらいました。
そして、何より僕が一番強くなったと思うところが「気持ち」だと思います。
トレイルランニングのレースでもアドベンチャーレースでも気持ちで簡単には負けないようになりました。
カッパCLUBに来て本当に良かったと一年目の「あの時」もそして「今」も変わらずそう思っています。

2012年4月23日 倉田文裕

Parole del Re 「王様の言葉」

嬉しいことに、僕の周りには話していて楽しい人が沢山います。
その中の一人がカッパCLUBの若手ナンバー1ガイドの「KING」君です。
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(カッパCLUB若手ナンバー1ガイド「KING」君)

この冬、スノーモービルのツアーで一緒にガイドをすることが多かったので、空き時間によく話をしていました。
僕よりも歳下ですが、人間がしっかりしていて、川や仕事に対する姿勢も素晴らしいので、先輩ガイドから絶大な信頼を得ている理由も良くわかります。
そんなKING君との会話で多かった話題が「ジブリ」と「人類滅亡」についてです。
僕もKING君も「ジブリ」が大好きで、もう一人のジブリ好き、カッパCLUBナンバー1アイドルガイドの「コイズ」君と一緒に3人で「ジブリ会」なるグループを結成しているくらいです。

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(カッパCLUBナンバー1アイドルガイド「コイズ」君)

しかし、結成以来忙しさにかまけて、活動らしい活動は出来ていないので、今年はカッパCLUBのツアーに絡めて積極的に活動していけたらいいなぁと思っています。

そして、もう一つ、「人類滅亡のシナリオ」の話もKING君との会話で多かった話題です。
僕もその手の話が好きなので、2人で大いにその話題で盛り上がりました。

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      (KING君は図解で「人類滅亡のシナリオ」を説明してくれました。非常にわかりやすかったです)

他にも、これまた2人とも大好きな「北野武」監督の映画の話や音楽の話、更には将来の話もよくしましたが、将来の話はお互いに、最も熱くなる話題かもしれません。
KING君にはしっかりとした将来のビジョンがあって、彼はそれを実現する為に何をするべきなのかという事をいつも真剣に考えています。
僕は彼が将来、彼の選んだ道で、その名の通り「王様」になると確信しています。

2012年4月19日 倉田文裕

Roba importante 「サンバイザーと髪型」

僕はトレイルランニングの時もアドベンチャーレースの時もサンバイザーをよくかぶっています。
なぜキャップをかぶらずにサンバイザーなのかというと、キャップが似合わないからです。
サンバイザーが僕に似合っているかどうかは別にして、キャップよりは似合っていると自分では思っています。
僕がいつからサンバイザーをかぶっているかというとトレランを始めた時からなので6年前からです。
当時は今よりも髪が長く、走っている時に前髪が邪魔だったのでカチューシャ的な感覚でサンバイザーをかぶっていました。

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  (6年前のハセツネ初参戦の時。この時から既に THE NORTH FACE のサンバイザーがお気に入りでした)

その後、髪が短くなってからも汗よけの意味も込めてかぶっています。
サンバイザーをかぶっている方は良くわかると思いますが、サンバイザーのあり、なしで額の汗が目に入ってしまう確率が格段に違います。
汗が目に入ってしまうと沁みて辛いだけでなく、袖や服の一部でイチイチ拭わなくてはならないので、特にレースではストレスになってしまいます。
そういう意味ではサンバイザーは今や、僕の中では非常に重要なアイテムの一つになっています。

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             (レース終了後、船上でのリラックスタイム。こんな時でもサンバイザー。
              因みに田中さんは衛星携帯電話で日本にいる奥様と会話中です)

レースでは毎回のようにサンバイザーをかぶっていますが、普段、髪が極端に短い、坊主に近い髪型の時にはサンバイザーはかぶりません。
理由は前髪が無いので、サンバイザーと髪の生え際との間に隙間が出来てしまい変だと僕は思うからです。
【※これは倉田文裕個人の勝手な見解ですのでサンバイザー愛好者の皆さま方は気になさらないでください】
なので海外のアドベンチャーレースに出場するときには、その1ヶ月前位に髪を切ったら、レースが終わるまで髪は切らないようにしています。

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       (3年前のパタゴニア初参戦時の写真。キャップが似合わない僕はこの時もサンバイザー)

坊主に近い髪の長さの方が楽なので、そっちの方が好きなのですが、そうするとサンバイザーが似合わなくなってしまうので、そのバランスが僕にとっては難しいところです。
髪の長さをサンバイザーに合わせるか、サンバイザーよりも、楽な髪の長さをとるか、これからもケースバイケースでやっていきたいと思います。

2012年4月16日 倉田文裕
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