前回、「COLUMBIA LONG TRAIL “Snow Country Trail”」の所でも書きましたが、ツアーの数日前に自分の不注意により手と顔をケガをしてしまいました。
アウトドアで生きている人間としては、ケガは付き物だと思うのですが、それでもその多くは原因を探っていけば“防ぐ事が出来た”とか、“しなくても済んだ”という結果に行き着くモノばかりじゃないかと思います。
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(左橈骨遠位端骨折に顔面切創。この言葉だけ聞くと凄いケガのように聞こえると思いますが、僕はすこぶる元気です)

ただ、例外はあって、1分1秒、もっと言えば、0.1秒を争う世界で生きているアスリートは限界ギリギリ、もしくは限界を超えた所で勝負しているので、その分ケガへのリスクも高まり、常に「ケガ」と「結果」、紙一重の所にいると思います。
身体が資本(命)であるアスリートにとっては、文字通り“命を懸けて”戦っている訳で、結果を求めて追い込んだ末のケガならば致し方ないと僕は思います。
しかし、今回の僕のケガはトレーニング中のケガでもなければ、レース中のケガでもなく、一競技者の自分としては大変不本意なケガだったので、トレーニングを休まざるを得ない今の状況がもどかしくてなりません。
今回のケガで、僕は左手首の骨にヒビが入り、顔を2箇所切って4針縫いましたが、幸い、どちらのケガも大した事なく、手術が必要とか、今後の競技人生に影響があるといったものではありませんでした。
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(昨年の今頃、雪解け前の三国街道を試走していました。今年は雪解けが早く、ここまで雪が残っていないと思います)

ケガをして最初の数日間は「なんでケガをしてしまったのか」、その事ばかり考えていました。
しかし、その後は「このケガの意味ってなんだろう」、「このケガは僕に何を教えようとしているんだろう」という事を考えるようになりました。
今から3年前、僕がカッパCLUBに来て2年目の春、ラフティングのトレーニング中にボートから落ち、左膝の内側側副靭帯を損傷した時も、「なんでケガをしてしまったのか」という事を考えましたが、「このケガの意味は何だろう」、「このケガは僕に何を教えようとしているんだろう」とは考えませんでした。
それだけトレーニングが出来ないという今のこの状態が“今の僕”にとっては耐え難い事で、だからこそ今回のケガについて“原因”だけでなく、それ以上の事を考えているのだと思います。
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(3年前に川でケガをした時も「何でケガをしたのか」という事を考えましたが、今回はより深くケガについて考えました)

手首のケガについては、特に傷跡も何も残らないと思いますが、顔の傷については、多少なりとも跡が残ると思います。
しかし、その傷跡さえも「今回の事を忘れるな」という“このケガの意味”ではないかと思いますし、「今のこのトレーニングが出来ない歯痒い日々を忘れるな」という意味で顔に刻まれたある意味“刻印”なのではないかと思います。
今回のこのケガ自体についても、3年前のケガから学んだ事を忘れかけている僕に対して、「大事な事だから忘れるな」という意味でお灸を据えられたのではないかと思います。
春ももうすぐそこまで来ていて、外で気持ち良く走れるようになってきたこの時期に、「色んな事を学べたしケガをして良かった」とは微塵も思いませんが、ケガをしてしまったという事実は、もう誰にも覆す事の出来ない事実なので、このケガを意味のあるものにする為に、ケガが治った時、人として、競技者として、少しでも成長していなければならないなと思っています。
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(昨年の5月に出場したレースに今年も出場する予定です。万全の状態でレースに臨めるよう努力したいと思います)

今回のこのケガでご迷惑をおかけし、ご心配をおかけした皆様には本当に申し訳なく思っております。
僕自身、ケガはしてしまいましたが、とても元気で、もう少しすれば少しずつ身体を動かす事も出来るようになると思います。
5月には昨年も出場したトレイルランニングのレースにも出場する予定なので、万全の状態でその日を迎えられるようPasso a passo(一歩一歩)頑張りたいと思います。

2013年3月22日 倉田文裕